第九射 弓矢に関するエトセトラ #1-3

「故事・物語」3

○徒然草

 今回は、「徒然草」です。

 高校の古文の時間に習いましたね。

 その第九十二段に弓道(当時は弓術かな?)が出てきます。

 

 『或人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、始めの矢に等閑の心あり。毎度、たゞ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と云ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。

 道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。況んや、一刹那の中において、懈怠の心ある事を知らんや。何ぞ、たゞ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。』

 

 このままでも意味はお分かりになると思いますが、あえて現代語訳を。

 

 『ある人が、弓の稽古で、二本の矢を持って的に向かいました。すると師匠が「初心者は二本の矢を持ってはいけません。次の矢があるからと、一本目の矢の扱いがいい加減になる。いつでも、この一本だけだと思いなさい。」と言いました。たった二本の矢、ましてや師匠の前でおろそかにしようなどとは思わないでしょう。でも怠け心は自分で分からなくても、師匠にはその事が分かります。この戒めは、何事にも当てはまります。

 道を学ぶ者は、夜には翌朝があると思い、朝には夜があると思って、「また勉強しよう」と思ったりします。ましてや一瞬の中に、怠け心があることは、分からないだろう。だから、今しなければならないことを、今すぐ実行するということは大変に難しいことです。』

 

 最近で言えば「いつやるの? 今でしょ!」ということでしょうか。

 

 弓道だけでなく、いろいろな場面での思いあたる節が山ほどあって、耳が痛いです。

 余談ですが、テニスにも同じようなニュアンスの言葉があります。

 

 『この一球は絶対無二の一球なり

 されば身心を挙げて一打すべし

 この一球一打に技を磨き体力を鍛へ

 精神力を養ふべきなり

 この一打に今の自己を発揮すべし

 これを庭球する心といふ』

 

 これは、早稲田大学庭球部OBの福田雅之助さんの言葉です。

 名人・上手と言われるような人は、分野が違っても同じ境地に達するのですね。

「一球」「一打」を「一射」に読み替えると、そのまま弓道にも通用します。

 

 余談の余談ですが、この言葉、マンガ「エースをねらえ!」(著・山本鈴美香)でも使われていましたので、ご存知の方も多いのでは・・・。

 
 この項、続きます。

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