第一射で「高鍋の弓道の歩み」をご紹介致しましたが、元支部長の河野昭敏先生から資料を頂きましたので、ご紹介致します。
前回分と合わせてご覧ください。
(イ)明治以前
高鍋藩秋月氏の家老 手塚甚五ヱ門吉言(よしとき)の二男、手塚三五兵衛吉享(よしちか)が江戸で日置流雪荷派の弓道師範 石川傅佐衛門義方に学び、安永3年免許皆伝を受け、帰郷後、藩主より 小給(こぎゅう:上級武士)として遇され50石を賜り、弓道師範として召し出され、是より藩中の子弟のための弓術を教授しました。 (石川正雄氏蔵 手塚氏系図より)
このことから、藩政時代には日置流の斜面弓構え(斜面打ち越し)の弓術が盛んであったと思われます。
(ロ)戦中
紀元2600年(昭和15年)の記念事業として、八坂神社に武徳殿とともに弓道揚が併設され、町内の弓道愛好家によって盛大に弓道大会が開催されました。
当時、学校弓道は、高鍋中学校では 神田年水先生、高鍋高等女学校では 加藤トメオ先生、高鍋農学校では西江校長先生が正課として生徒の指導にあたられていました。
(ハ)戦後
終戦とともに『大日本武徳会』の解散により、柔・剣道はもちろん弓道も廃止されましたが、昭和25年に『全日本弓道連盟』が発足、弓道界底辺拡大のための同志の獲得、資質向上のための講習会、段級審査、各種協議会の開催等に力を注ぐとともに、技能優秀貴の国体及び全国各種大会等への派遣参加につとめました。
宮崎では昭和26年に宮崎県弓道連盟、昭和28年には児湯支部も発足し、年を追って盛んになっていきました。
高鍋では昭和35年頃に高鍋警察署に弓道場が設けられ、一般にも開放されるようになり、経験のある久米健夫氏・山田信二氏・江崎啓一氏等を中心に弓道人口も増え、職場ごとに仮設の弓道場建設の機運が生まれ、高鍋自動車学校・九電高鍋・阿部印刷・専売公社・蚊口、その後新田原基地にも建設され各道場を持ち回りにて月例会を実施していました。
昭和45年には高鍋税務署・役場弓道揚が建設され、会員によって記念大会が催されました。
昭和41年頃になると、次第に会員も増加し30名を越すようになり、弓友会会則を作り、昭和42年4月1日から施行。高鍋弓友会として児湯支部(都農・川南・高鍋)の傘下に入り、県弓道連盟に登録しました。初代会長は黒木茂氏。
年間行事は以下のとおりです。
○月例射会(職場弓道持ち回り) ○町民の日祝賀弓道大会
○桜祭り弓道大会 ○高鍋町武道大会
○児湯支部弓道大会 ○忘年射会
○県体選手選考会 ○役員会
○県民体育大会
学校弓道では、高鍋農業高校の田崎義勝先生が顧問として弓道部を設立、高校新人戦・高校総体等で常に上位の成績を収めました。
昭和46年 会長黒木茂氏・副会長阿部喬氏を代表として町道場建設について町当局に強く要請、岩村町長・井上体育協会長・町議会等のご理解と英断、会員の協力によって昭和46年8月に県内でも数少ない6人立ちの道場が、現在は中央公民館が建つ地に建築され、屋内で晴雨に関係なく練習が出来る喜びはひとしおでした。
9月には道場開き記念大会を開催。岩村町長より弓友会へ感謝状が授与され、県内各地に案内状を出して盛大に道場開きを行いました。
道場の完成に伴い、職場道場での的中本位の射から資質向上を重点目標に県弓道連盟会長宗安正記先生(教士八段)を招聘して講習会を開催、児湯支部会員を含め46名の参加者でした。
昭和47年には次のような努力目標を掲げました。
1.弓道教本の改定に伴う基本の体得
2.各会員 昇段・昇級・昇格に努力する
3.新会員の勧誘に努力する
4.支部・弓友会の団結を強化する
この目標に従い、会長 石川正雄氏の発案により、県下初の弓道教室を開講。年2回(春・秋)、期間を3ヶ月とし指導者を選定、指導案を作成して町報・友人・知人を通して教室生を募集し底辺拡大のための会員獲得に努めました。
昭和50年に弓道教室を再開。以後毎年弓友会の主な行事の1つとして底辺拡大に努めました。
年間行事は次のとおりです。
○舞鶴神社奉納射会 ○役員会
○舞鶴公園桜祭り弓道大会 ○月例会
○審査前講習会(春・秋) ○新年射会
○県民体育大会選手選考会 ○忘年会
○支部対抗選手選考会 ○観月会
○弓道教室 開講(春・秋)
県体選手選考会及び支部対抗選手選考会は、児湯郡内の選手選考会で都農・高鍋・川南・新富の弓友が集まり、高鍋の道場で開催致しました。また春・秋2回の県内昇級・昇段審査会場と高体連の1年生大会の会場としても利用されました。
学校弓道では、高鍋高校に昭和44年に石川正雄先生を顧問として弓道同好会が作られ、翌年に弓退部に昇格。その後、高校総体や新人戦でも優勝または上位に入賞し、文教の町にふさわしい実績を上げました。
南九州大学は、昭和49年13名により弓道部を設立、監督は田中俊幸氏。
60年代に入ると、社会情勢の変化、殊にスポーツの多様化、楽しむためのスポーツの面と道を探求する二面性をもつ弓道は、外形からは誰でも出来そうでその奥の深さを垣間知った時、他のスポーツに転身する者、あるいは受講中にやめる者、転勤して他の支部で活躍する者等 定着率の減少がみられました。
そこで再び受講生を募集、年1回、夜間部と昼間部に分けて教室を開講、今日に至っています。
平成6年に児湯支部より離れ、弓友会を高鍋支部として県弓道連盟に登録。名称を宮崎県弓道連盟高鍋支部と改称し、年1回郡内の弓道場を持ち回りで、児湯郡弓道大会を開催。群内弓友の親睦に努めていました。
平成7年に畑田地区土地整備事業により、町弓道場を移転改築することになり、現在の地に総工費1億2000万円をかけて、10人立の全国に誇れる弓道揚が建設され、平成8年8月、第1回道場落成記念大会を開催、町より支部に優勝旗が贈呈され団体による優勝旗争奪戦を県下各地より弓友が集まり盛大に開催しました。
平成9年8月 九州高校総合体育大会弓道競技大会を誘致、九州各県より選手・応援を含め約300名が集い、熱気あふれる大会を展開いたしました。
同年9月、町主催による宮崎県地域社会武道(弓道)指導者研修会を開催。講師に福岡県弓道連盟副会長齋田先生(範士八段)、鹿児島県弓道連盟副会長山下先生(範士八段)、宮崎県弓道連盟会長河野先生(範士八段)、宮崎県弓道連盟理事大島先生(教士七段)をお招きして2日間にわたり、県北の5段以上・錬士・教士を研修生として、射礼及び射法射技の研修を受け今後の資質の向上に努めました。
2013/04/25